長野市の権堂アーケードの中ほどで交差する旧北国街道、通称「秋葉横丁」という名の路地を北に上り、開けた左手の駐車場に面して立つ二軒長屋の一角。壁から突き出た煙突が見えるーーここが川下康太さんの営む「ヤマとカワ珈琲店」です。
長野でコーヒー店を開くまで
紺地ののれんをくぐり、格子戸を開けると、正面の棚にコーヒー豆の入った瓶が並びます。築80年の古民家を改装し、古材や古道具で設えられた店内は心地良く、店の一角にはフジローヤルの焙煎機が据えられて、馥郁(ふくいく)たるコーヒーの香りが満ちています。
川下さんがこの店をかまえたのは2014(平成26)年3月、30歳の時でした。それまでは名古屋で建材メーカーの営業職として勤めていましたが、20代後半で今後の生き方を考えるうち、「自分で仕事を作り、自分で完結させたい」という思いが芽生えていました。
サラリーマンの身の上では転勤があり、会社の都合に合わせて住む場所を変え、暮らしを変えなければいけないーーそんな生き方を変えたいとも思っていました。振り返れば大学受験の際は「暗記系が苦手だから」という消去法で進学先を選び、「20代までの生き方に後悔があった」と川下さんは言います。
自分に何ができるかを考えて「コーヒーなら長く続けられそう」と思い至ります。当時、川下さんは趣味としてあちこちのコーヒー店を訪ね、自ら焙煎もしていました。「コーヒーが好きだから店を開きたい」というより、「自営するならコーヒーかな」。そんな肩肘張らない姿勢で自分の思いを実行に移していきます。
さて、どこで店を開くか。そこで知ったのが、長野市の善光寺門前でした。以前から門前界隈はリノベーションが盛んで、開業や移住を目指す人のための「空き家見学会」が定期的に催されていました。長らく門を閉ざしていた多くの建物が再生され、個性的な店が次々と開店し、その動きはSNSや冊子などをつうじて注目を集めていました。
そんな取り組みに興味を持ち、空き家見学会に参加した川下さんは、門前で店を開くことを決めます。「大阪や名古屋で開業すると1000万くらいかかるけど、長野だと300万から500万くらい。自己資金だけでできる。それが大きな理由になりました」。長野市に移住して、街とそこに住む人とのつながりを深めながら空き家見学を重ね、やがて出会ったのが冒頭の建物です。
喫茶から自家焙煎の店に
2014年の開店当初は「喫茶ヤマとカワ」として客を迎え入れ、コーヒーとともにカレーやスイーツを供していました。「この場所を好んで来てくださるお客さまも多かったのですが、仕込みから接客までこなさなければならず、とにかく忙しくて」。気づけば時間に追われる目まぐるしい日々が過ぎていました。
「喫茶は場所ありきで、そこにやって来る人とコミュニケーションを取り、場をつくり、運営していかないといけない。それが得意な人もいるけど、僕はそうじゃない。僕ができるのは、商品を作り、売ること。コーヒーを介してコミュニケーションをとり、満足してもらうことなら僕は好きだし、得意だと思ったんです」
自分にできるやり方で、時間にも場所にもしばられない仕事のあり方――それはコーヒー豆の焙煎と販売でした。とはいえ「すぐに喫茶を辞める勇気はなかった」と川下さん。支えとなったのは、家族の存在でした。結婚して子どもが生まれ、家族との暮らしありきの生き方へと、仕事のバランスを模索していきます。
2015年には店を改装して焙煎機を導入し、同時に喫茶スペースを減らして、豆の対面販売と通信販売をはじめました。2016年には「ヤマとカワ珈琲店」と名前を変え、豆の売り上げを徐々に増やしていきます。そして開店3周年を迎えた2017年3月、とうとう喫茶をやめ、自家焙煎と販売のみに特化した店へと舵を切りました。
(後編へつづく)
取材・文/塚田結子 写真・宮崎純一
かわした・こうた
1983年、大阪府生まれ。大学卒業後、建築資材メーカーで7年間勤め、2013年に長野市へ移住。翌年、ヤマとカワ珈琲店を開業。2022年から木曽郡木曽町に移住して、長野と木曽の2拠点で活動していく。
ヤマとカワ珈琲店
住所|長野市鶴賀田町2252
営業時間|13時~16時
定休日|日〜水曜
ホームページ、Facebook、Instagram、Twitter、LINEあり